代表者からのご挨拶

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      知財戦略の「軍師」を目指して!!!

 
  大阪、東京での実務経験を土台に、上に書いた思いの実現に日々を過しております。

  以下、福岡での活動の思いを書かせて頂きます。
 

 
 
 

 

<大阪時代>
 私が東北大を卒業する頃の平成5年頃は、弁理士や特許業界へ関心が今ほどでは無く、バブルの名残の面もあり、周りのほとんどが大手メーカに就職していきました。私の場合には、ご縁があり、学卒で特許事務所にお世話になることになりました。勤務させて頂いた二つの事務所では、私が弁理士業で生きていく上での土台を作らせて頂きました。

 深見特許事務所(大阪)では基礎技術といった高度な技術案件に携わらせて頂きました。この事務所は、海外案件の取り扱い量が多く、大手や大学・公的研究所の案件を主に担当していました。坂上特許事務所(大阪)では私にとって師匠である「坂上好博」先生に巡り会いました。この事務所では、大手の案件の他、訴訟対応案件が常にある状況で、また中小企業の社長と接する機会も多く、弁理士法が改正されていく中で、弁理士の役割が何たるかを考えさせて頂く機会を与えて頂きました。

<葛藤の時期>
 学生時代から無理をしてきた面もあり、30歳を前にして体調を崩してしまい、福岡で静養することになりました。大阪時代に土台を作らせて頂いた中で、私なりの弁理士業をやっていくには「お金のこと」「経営のこと」を学ばなければという思いが強くなり、会計等の方向に本格的に足を踏み入れる決断をしました。そして、福岡に戻った後、弁理士登録を抹消して公認会計士を目指すことにしました。しばらく平穏無事な生活をしておりましたところ体調も戻り、会計士の先生達や周りの方とも相談して士業のこれからのことを考えると、資格を取得するよりも仕事である実務をすることを優先させるべく、弁理士に復帰することにしました。

<東京時代>
 種々の理由から復帰するにあたって東京に行くことになりました。黒田法律事務所・黒田特許事務所(東京)では、ITベンチャー案件も多く、在籍した時期はビジネスモデル特許が騒がれた頃で、そのような案件の他、大阪時代では触れることも少なかった商標にも深く関与するようになりました。また弁護士の中で日々を過すことになり、新たな視野を持つことができました。

 某プロジェクトに携わり、毎日の業務に追われていた頃、坂上先生が亡くなられた連絡が入りました。振り返ると、私の気持ちの中で、東京から離れることを考え出したのはこの頃が最初だったかもしれません。無事にプロジェクトが終了する頃には、学生時代に過した仙台や故郷の福岡などの地方都市で活動することを決心する気持ちが固まっていっていました。

その理由は、以下のことだったと思います。

一 私が弁理士試験の合格同期よりも10歳ほど若く26歳のときに合格できて、同期に比べてリスクを負い易いと感じたこと。

一 これからは東京(大阪、名古屋)への集中を分散させることが好ましい時期だと思えたこと。

一 10年程前に米国の産学官連携に興味を持って調べたことが、日本国でも知的クラスター創成事業としてスタートすることに興味を持てたこと。

一 アジアの成長を考えると、福岡・九州のポテンシャルに期待できたこと(静養とはいえ、故郷である福岡で過した時期があった面も影響していると思います。)。

一 仕事だけの生活よりも自然が多くてプライベートも充実するには地方都市のほうがよいのではと感じたこと(当時は「ロハス」という言葉もあまり使われておらず、単に田舎もの?の考えという面があると思います。)。


<福岡での活動に向けて>
 結局、師匠が亡くなられてからは、師匠への恩返しの仕方をずっと考えていたのだと思います。東京で重要案件に携われてクライアントに喜んで頂くことよりも、自分の今までことを考えると、どこかの地方成功例を出し、その成功例をきっかけに全国の地方が知財を通じて変わるのではという思いが強くなりました。それと、弁理士業界のこの10乃至15年の大きな変革の中で、先輩達がやってきたことを知っていて、年齢的には最近の合格者に近いことからすれば、私よりも若い世代への「時代の架け橋」になることが私の使命ではないかと思えた気がしました。そう考えると、「真っ白なキャンパスに、今まで培った経験等を土台に東京、大阪ではあまりしないような自分なりの弁理士像を描く」ことを決めました。

<実際の福岡での活動>
 本格的な活動前に、バークレーで半年ほどゆっくりしたとはいえ、全ての面でゼロからのスタートでしたので、とにかく必死で日々を過してきました。有り難いことに、優秀なスタッフも入ってきてくれて、「山あり谷あり」ながらも、福岡で活動しようと決断したことがよかったと思える日々だと思います。お陰様でいろいろと福岡での実績も出すことができた面があるように思います。最近は、個性的で優秀なスタッフの協力もあり、遣り甲斐のある仕事の依頼を頂いていると感じています。これからも、「九州・福岡に優秀な人材が生まれ、育ち、根付き、それが全国に広がるような活動をしていき」、『21世紀型の都市として期待されている福岡』での活動を中心に、仕事だけでなくプライベートも充実させていきたいと考えています。

 
(平成21年メモ) なお、平成20年の秋移行に起こった金融・経済の状況の中、平成21年春までに考えてきたことがまとまってきて(現在平成21年6月1日)、東京・大阪等での経験や、バークレーで見てきたことを踏まえ、また特に福岡・九州での活動も踏まえると、知財戦略での調査の重要性を認識してきたことと同様に、マーケティング(市場調査)ということの重要性を改めて感じています。そのため、売上向上と知財戦略の構築という好循環を鑑みると、マーケティングと知財戦略との連動とをより意識して業務を遂行していきたいと思います。特に、ブランド・デザインについては重点をさらに置いた戦略構築を心掛けたいと思います。 


 
(平成22年メモ) また、平成22年は、後に振り返ってみたとき、大きな節目の年になっていたという感じるのではないかという気がしています。平成22年は、特許業界に入ってから18年目となり(H5年4月から就職)、最初の弁理士登録をしてからも13年が過ぎ(H8年末登録)、開業してからは8年目(H15年春)になります。経済・政治といろいろなことが起こっていますが、私自身にとっては、もうすぐというか2年ほどで、20年、15年、10年という大きな節目を迎えることになりますので、それに向かって前に進んでいきたいと思います。 

 

(平成23年メモ)  平成23年3月11日、東日本大震災が発生しました。仙台は学生時代に過ごした街で、学生時代にはこのままここで暮らしていけないかと思ったほど私にとって快適だった街です。杜の都とも言われ、福岡と同じように都市機能が充実しているだけでなく自然にも囲まれて素敵な都市だと今でも思っています。そのような地域を含め、東北・関東では大きな影響が出ていることを報道で知るだけでなく、仙台の知り合いや関東の方々と話をして実情について生の声を聞くと、多くの方と同様に心が痛み、少しでも早く通常の生活ができるようになることを願うばかりです。その一方で、私自身、何かできるかと言えば、物資を送ることや義援金のような寄付ということももちろん考え付くのではありますが、考えれば考えるほど、今までと同様に或いは今までよりも増して、弁理士としての使命をまっとうすること、ご依頼頂いている仕事に対して一つ一つ丁寧に取り組んでいくことに尽きるのだろうと思っています。
 震災直後はレスキューなどの専門の方以外が行くことが現場からすればまだ迷惑な状況もあったと思いますが、今後は復興に向けてボランティアの力も継続して重要になってくると思いまし、経済的な活力が出るためにも、観光地への人の流れなども少なくとも元に戻していくことが重要になってくると思います。私自身としても、できる範囲ではありますが、関東だけでなく仙台などへも行くようにしながら、そこで感じ取るべきことを感じ取り、自分にできることを考えつつ、一日一日を大事に日々を頑張っていこうと思います。


(平成23年末追記メモ)
 本日は、2011年12月21日です。今年は、スタッフが弁理士試験合格、知的財産管理技能検定合格ということで、各自としてのキャリア形成はもちろんのこと、事務所としても人材育成の成果が出た年でした。
 再来年3月には事務所開設10周年ですので、来春からは10年目として10周年という大きな節目を迎えるための大事な1年にしたいと思います。いろいろな方々とのネットワーク化も進んできておりますが、所長としては、節目に向けて、チームとしてのより良い姿を求めた組織作りをさらに進めていきたいと思います。
 なお、上記した弁理士試験合格者からは、合格へのお礼ということで、先日、主要メンバーそれぞれへの思いが込められた書をそれぞれに渡してくれました。事務所には飾っていますが、私には、私のイメージということで、「天 地 人」という書をくれました。私自身も、この言葉の重みを感じながら前に進んでいきたいと思いますが、是非、その本人が今後弁理士として大きく活躍することで、100年後の事務所にとってこの書が大きな価値あるものになっていることを期待したいと思います。

 
(平成27年秋メモ)
 前回のメモから4年近くになりました。
 この間に、当事務所も無事に10周年を迎え、昨年度は2回目の日本弁理士会九州支部長にもなり、今年に向けて支部10周年記念イベントについても関わり続けることにもなりました。
 また、本業からの派生で、一般社団法人を中心にいくつかの法人等の理事や役員を引き受けたり、お声がけ頂けている審査員等を引き受けたり、九州志士の会の立ち上げ、九州の食の立ち上げなど、弁理士という本業以外の活動も広がってきました。
 一つ一つを見ると、点に見えますが、本人にとっては過去⇒現在⇒未来と続く線であるばかりか人的ネットワークの広がりによって川の流れとも言えるような面的な流れに感じています。過去から現在に向かって流れが広がっているようにも思います。ここまでの私の状況を考えた場合のキーワードは、地域に根付いた人の繋がりとも言えます。
 こういう感覚は、東京等では得られなかったかもしれませんが、クライアントの経営に貢献することに加え、地域と共に地域のことを想って活動できていることは、弁理士としても幸せな仕事の仕方をさせて頂いているようにも思います。
 一方で、現状に満足しきっているわけでもなく、私の感覚が今の状況では上記のように面的な感覚ですが、まだ立体的な感覚もあるだろうと期待しており、今後がどのようになっていくのか愉しみでもあります。
 将来、もしそれを実感として感じることができるのならば、時空を超え、私の命とは別の次元に到達できるのかもしれないようにも思います。昨年の年末に手術をし、昨年度の立場もあっていろいろと考えさせられる面もあり、昨年からの1年は次のステージへあがるための試練を与えてもらったのかもしれないとも思います(今年も身内の病気等のことからしても、この1年はそういう試練の年だったのかもしれません。)。
このような試練を経て得られる感覚では、もしかしたら、そのときのキーワードは、未来という希望を抱いた想いなのかもしれません。なにかが見えてくるような感じもあり、そういう気持ちを将来にしっかりと感じれるように、一日一日を大事にしていきたいと思います。 

 

(令和2年2月メモ)
前のメモからかなり時間が経ち、年号も変わり、令和になりました。
数年前から取り組んでいるデザイン思考×ビジネスモデル×知財ワークショッププロジェクトが大きなきっかけになり、支援のステージが、「保護」「活用」に加えて、「創造」にもチャレンジ中です。
デザイン経営、2030年に向けた知財中期ビジョン、意匠法の改正など、タイミングを同じくして大きな動きが始まっており、私の活動の幅もさらに広がりました。
上記で書いた次のステージは創造というキーワードだったのかもしれません。具体的なキーワードは「デザイン」。
弁理士は代理人であり、発明者ではないことなど創造支援にはいろいろと考えていくべきこともありますが、「ももち浜クリエイティブ井戸端会議」の運営ではコーディネータやファシリテータとの役割も担っており、ビジネスモデルを踏まえた上でAIを活用して特許情報を創造支援に活かすという取り組みも始めています。
今の気持ちとしては、デザイナーの考え方から多くのヒントが得られたことを活動に活かして、九州エリアが知恵に溢れる地域になるように、弁理士会の活動を含め公的な活動にも引き続き力を入れて頑張っていこうと思います。事務所としては、この数年は大きな方向転換のタイミングになっており、これからの25年を見据えた活動を始めたということになります。

 

<最後に>
福岡での活動の輪を広げたいという気持ちもあり、また私の人となりをご理解頂ければと思いまして、長々と記載致しました。
代表としては、スタッフとともに、「NEXPAT」が、クライアントをはじめとする皆様のために、一つ一つのことを自ら考えてサービスを提供する集団として成長していくように頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。